【書評】暗闇のなかのかすかな光 ウィーダ『フランダースの犬』

書評

日本では有名な子ども向けの物語りで、アニメでこのタイトルを知った人も多いでしょう。

主人公のネロは、祖父と二人三脚で暮らしていました。両親が亡くなったためです。ある日、ネロと祖父は、荷物を引くために飼われていたものの、動けなくなって捨てられていた犬、パトラシエを助けます。そのあと二人と一匹の新しい生活が始まります。

夢を抱いて苦しみのなかで暮らす

ネロは画家になることを夢見ていました。彼はルーベンスという画家に憧れ、教会に飾られたその絵をどうしても見たかったのですが、絵には幕がかけられ、お金を払わないと見ることができませんでした。ネロは貧しくてお金がなく、絵を観ることができませんでした。

ネロの祖父は街で牛乳を運ぶ仕事をしていましたが、体調を崩してからはネロとパトラシエがその仕事を引き継ぎます。しかし祖父がクリスマス前に亡くなり、家賃も払えなくなったため、ネロは家を追い出され、飢えながら街をさまよいます。そして最終的にはルーベンスの絵が飾られた教会で、パトラシエとともに命を落とします。これが物語りの大筋です。

このような悲しい話が、なぜ児童文学として語られるのでしょうか。それは、ある意味で「世界の真実」を伝えているからだと思います。

世界の暗い真実として

私もハッピーエンドの話が好きで、人生は前向きに考えたいと思っています。しかし、それだけではどうにもならない現実も存在することを知っています。

ネロのようにこころが純粋で、苦しい状況にあっても、他人に気づかれない人々がいます。誰かに助けを求めても、支援の手が差し伸べられないこともあります。あまりにも前向きに物事を捉えようとするあまり、こういった苦しみを抱える人々に気づかなくなってしまうこともあるのです。

この物語りで重要なのは、ネロが非常に苦しい人生を送ったにもかかわらず、最後にルーベンスの絵を見られるという夢をかなえたことです。それは非常に儚い夢ではありますが、ネロにとっては救いの瞬間でした。ただし、その瞬間に救いがあったとしても、ネロの人生がそれで「よかった」と突き放すことはできません。大変な苦しみのなかで、ようやく小さな光が灯った、という話です。できることなら、その光がもっと広がれば良かったのですが、ネロの場合、そこでその灯が消えてしまうのです。

前向きな言葉では届かないとき

この物語りは何を伝えているのでしょうか。たとえば「前向きな言葉」や「頑張れ」という言葉が、必ずしも相手を助けるわけではない現実を、この物語りを読むと直面します。とくに無理に前向きな言葉をかけることで、相手の苦しみや痛みを理解しないままになってしまい、結果として相手のなかに苦しみを押し込めてしまうことがあります。とくにネロのように純粋で、他人に自分の苦しみを気づかれずに生きている人にとっては、前向きな言葉がかえって「相手は自分のために声をかけてくれている。でも理解してくれるわけではない」と孤立感を深めることさえあります。

この物語では、ネロのように苦しみが気づかれないときに起きる厳しい現実が描かれています。相手の苦しみを真摯に向き合って、寄り添うことは本当に難しい。けれども、それこそが人を支えることになるのです。ネロの苦しみに対して、パトラッシュには出来たのです。

ネロのように純粋で希望を持ち続ける人が、現実の厳しさの中でどのように生きるのかを考えさせられます。苦しみの中で自分の儚い夢を抱き続け、大切なものを最後まで守ろうとした。ネロを知っている町の人は沢山いました。しかしネロの苦しみを知る人は少なかった。そのような無力感や苦しみを抱えて生きる人々は身近に存在している。それを気づかされる物語りなのです。

プロフィール
この記事を書いた人
三輪 幸二朗

Mitoce 新大阪カウンセリング代表
臨床心理士

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